AKB48チーム8・太田奈緒と學ぶ京都の偉人~保津川の川下りは、この人のおかげ!

vbn159951     2017-06-15     18     檢舉

AKB48チーム8・太田奈緒と學ぶ京都の偉人~保津川の川下りは、この人のおかげ!

 

現在、選抜総選挙真っ只中のAKB48。速報時點で「ネクストガールズ」にランクインするなど、昨年から躍進したのがチーム8・京都府代表の太田奈緒さんだ。

今回、太田さんに、出身地の京都府のある歴史上の人物について、歴史研究家の河合敦先生から學んでいただいた。

あなたはこの偉人、知っていますか?

保津川の川下りは、この人のおかげ!

河合 太田さんは日本史は得意でしたか?

太田 ……どちらかといえば苦手でした。

河合 おや(笑)。大丈夫ですよ、一緒に學びましょう。京都のご出身と伺いましたが、ゆかりの偉人が數えきれないほどいますよね。

太田 坂上田村麻呂とか?

河合 さすが地元ですね(笑)。今回は、京都の角倉了以(すみのくら・りょうい)という人を取り上げましょう。戦國から江戸時代にかけての人物です。

太田 はじめて聞いた方です。

河合 でも、京都の嵯峨の保津川はご存知ですよね?

太田 行ったこともあります。舟の川下りが有名で、水しぶきがかかるくらい、流れが急なんです。

河合 実は、その川下りができるのは、この人のお蔭なんですよ。

太田 えっ、そうなんですか?

河合 京都市って海に面していませんよね。だから昔は周辺からモノを運ぶとき、陸から馬などを使っていたんです。でも、馬だと少ししか荷を積めず運賃も高い。ある方法で、そんな不便さを解決してしまったのが了以なんです!

太田 もしかして、川ですか?

河合 正解!

太田 舟ならば大量にモノを運べますし、時間も短縮できますね。

河合 そうです。そこで了以は保津川に舟が通れるようにしたのです。この川はとても急で、普通なら舟は通れません。なので、了以は私財を投じて工事をしました。

太田 自分のお金で、ってことですか?

河合 もちろん! 川の通行料はもらったりしてお金を回収しましたが、それでもなかなかできない立派なことですよね。

 

京都を繁栄させたアイデアとは?

河合 しかも、了以は他にもすごいことをやっています。ここでひとつ質問、京都で最も有名な川はどこですか?

太田 鴨川。

河合 ですね。了以は同じようにその鴨川にも舟を通したんです。

太田 すごいですね…。

河合 でも、すぐに泥が入り込んで川が淺くなり、舟が通れなくなってしまったのです。人々もがっかりしました。このとき了以はあることを閃きます。何だと思いますか?

太田 ええーっ? 泥がいっぱいってことは…うーん…。

河合 鴨川と並行して高瀬川ってありますよね? あれ、了以がつくったんです。

太田 え、人工の川ということですか? どうやってつくるんだろう……。

河合 私も詳しいことは分かりません(笑)。ただ、鴨川が泥で駄目ならば、自分で川をつくってしまえと、了以は発想を上手に転換したのです。ちょうど家康が江戸に幕府をつくり、京都は「このまま廃れるかも」と人々は不安に思っていましたが、了以の事業もあって経済的発展を遂げたのです。太田さんの故郷の礎を築いた方といえますね。

太田 娯楽でなく、舟が川を通ることで町が栄えるなんて、想像したこともありませんでした。でも、私たちの町が、了以さんのような昔の方のお蔭でできていると思うと、感謝のきもちがわいてきます!

角倉了以(1554 -1614)

戦國時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商。外國との貿易を行なう傍ら、大堰川や高瀬川を私財を投じて開削。徳川家康の命令で富士川や天竜川の開削も行なっている。地元・京都では、琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎と共に「水運の父」として有名。

※本記事は、月刊誌『歴史街道』連載「AKB48と學ぶ! 四十七都道府県 この偉人を知っている?」より、その一部を抜粋編集したものです。